今年2017年、NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の特別展が静岡で開催されます。
直虎の波瀾の生涯をたどる前半と後半は次代に活躍した井伊直政を描いていく構成となっています。
貴重な古文書や刀剣・甲冑・絵画なども展示されます。
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」特別展 2017
井伊家は遠江・井伊谷(いいのや)を領地としていましたが、存亡の危機にひんしていた時、井伊家繁栄の礎を築いたのが戦国末期の井伊直虎です。
この展覧会では井伊氏が乱世を生き延びることができた理由や、直虎が養育した次代の直政の姿などをかいま見ることができます。
【戦国!直虎から直政へ】
◆開催日程
◎ 2017年(平成29年)8月14日(月)~10月12日(木)
◆開催時間
◎ 10:00~17:30
(展示室への入室は17:00まで)
※8月19日(土)・26日(土)は19:00まで夜間開館
(展示室への入室は18:30まで)
◆会場
◎ 静岡県立美術館
◆休館日
◎ 毎週月曜日
★8月14日(月)は特別開館
・9月18日(月・祝)と10月9日(月・祝)は開館
※翌火曜日が休館
◆観覧料
一般 :1,200円
70歳以上・高校生・大学生:600円
※中学生以下無料
◆展覧会構成
・第1章 動乱を超えて~東海の戦国大名と井伊氏
・第2章 遠江の雄~井伊谷の領主として
・第3章:徳川家康と四天王
・第4章:遠江から近江へ~直政、彦根藩創設への道程
◆問い合わせ
◎ 総務課:054-263-5755
◎ 学芸課:054-263-5857(担当:石上)
★テレフォン・サービス:054-262-3737
大河ドラマを見ていると、その時代のことをもっと知りたくなりますよね。
本当のところはどうだったんだろう・・・って想像しながら・・・
直虎の花押の入った貴重な古文書や井伊直親の遺愛の笛も展示されます。
この笛は460年間、浜松市北部の寺野の地に護り伝えられたもので、寺野の外で公開されるのは初めてとなります。
直親の菩提寺に伝わる「世継観音像」は扇子の裏面の由緒書きに「井伊次郎法師」の名があることが発見され、この由緒書きもみることができます。
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会期中のイベント
【関連イベント】
◆特別講演会「戦国大名今川氏と国人領主井伊氏」
◎ 日時
2017年(平成29年)9月10日(日)
14:00~
◎ 場所
静岡県立美術館講堂
◎ 料金
・無料
◎ 内容
講師:大和田哲男氏(静岡大学名誉教授)
・大河ドラマ「おんな城主 直虎」時代考証
★要申込
◎ 申込方法
・往復はがきで申込み
往信面:氏名・住所・電話番号・希望人数(2名まで)
返信面:郵便番号・住所・氏名
宛先:〒422-8002 静岡市駿河区谷田 53-2
静岡県立美術館 特別講演会係
◎ 締切
2017年(平成29年)8月22日(火)必着
※定員(250席)を超えた場合は抽選
◆講演会「井伊直虎と湖北の戦国時代」
◎ 日時
2017年(平成29年)9月30日(土)
14:00~
◎ 講師
久野正博氏(浜松市博物館学芸員)
◎ 場所
静岡県立美術館講堂
◎ 料金
・無料
★申込不要・先着:250名
◆美術講座「直虎の時代の絵画-式部輝忠《富士八景図》から探る」
◎ 日時
2017年(平成29年)8月26日(土)
14:00~
◎ 講師
石上充代(静岡県立美術館学芸員)
◎ 場所
静岡県立美術館講堂
◎ 料金
・無料
★申込不要・先着:40名
◆学芸員によるフロアレクチャー
◎ 日時
2017年(平成29年)8月26日(土)・9月16日(土)・10月7日(土)
10:30~
◎ 集合場所
第1展示室
★申込不要・要観覧料
他にもNHK公開セミナーも2017年9月3日(日)に開催されます。
こちらも事前申し込みが必要です。詳しくはこちらのホームページで↓
静岡県立美術館へのアクセス
【静岡県立美術館】
〒422-8002 静岡市駿河区谷田53-2
TEL:054-263-5755
◆電車利用
・JR「草薙駅」県大・美術館口から静鉄バス「県立美術館行き」で約 6分
・JR「静岡駅」南口からタクシーで約 20分
または静鉄バスで約 30分
・JR「東静岡駅」南口からタクシーで約 15分
または静鉄バスで約 20分
・静鉄「県立美術館前駅」から徒歩約 15分
または静鉄バスで約 3分
◆車利用
・東名高速道路「静岡I.C」「清水I.C」
または新東名高速道路「新静岡I.C」より約 25分
まとめ
徳川四天王とは「酒井忠次」・「本多忠勝」・「榊原康政」・「井伊直政」の4人です。
この四天王の名称がいつから使われているかはよくわからないようですが・・・
「徳川三傑(徳川三人衆)」は「本多忠勝」・「榊原康政」・「井伊直政」ですね。
この徳川三傑の一人、「榊原康政」が武田の赤備えの軍団を自分の部下にしたいと徳川家康に直訴したにもかかわらず、その赤備えの軍団は井伊直政の軍団として預けられました。
直政は厳しく、そして強い武将でしたから、直政の赤備えの部隊は豊臣軍との戦いで大活躍し、「井伊の赤鬼」として多くの大名から恐れられました。
最強のライオンの軍団をうさぎが率いた軍と、うさぎの軍団を百戦錬磨のライオンが率いた軍ではライオンが率いた群のほうが強いという説がありますよね。
もともと赤備えは強い軍団ですから、それを率いるトップはやはりかなりの武将でなければ彼らの力を使いこなせなかったのかもしれません。
ただでさえ強い赤備えの軍団に、鬼と呼ばれるほどの武将である直政がトップとなれば、怖いもの知らずの軍団だったのでしょうね。