今やお正月の風物詩といえる箱根駅伝・・・
昔横浜に勤めていた時は国道1号線のすぐ下で、しかも毎年2日から出勤だったので、いつでも花の2区を見ることができたのに、その頃は全然興味がなかったので1度も見ずに・・・もったいなかったと思います。
何故花の2区と呼ばれているかについてはスピードランナーが多い1区の走者たちが鶴見中継所に飛び込んできて、この2区に各校はエースたちを投入して走る区間でもあるからですね。
けっこうドラマもありましたよね。
その箱根駅伝の生みの親である金栗四三(かなぐり しそう)氏について紹介したいと思います。
東海道駅伝徒歩競争の大成功が箱根駅伝の開催につながる
箱根駅伝が始まる3年ほど前、明治維新からちょうど半世紀の1917年に「遷都50周年」を記念して開かれる博覧会を盛り上げようと、主催である読売新聞社が遷都の際に明治天皇が辿った足跡とほぼ同じコースを博覧会開催期間である3日間、日中夜かけて走破するという大マラソン大会が企画されたのです。
その距離、508キロ・・・
それを23区間を関東組と関西組で争ったそうです。
そして江戸時代の宿場町を走って荷物を運んだ職の名前にちなんで「東海道駅伝徒歩競争」とつけれました。
その時トップでゴールしたのが金栗四三選手だったのです。
ゴールがよく見える上野精養軒では見物客でごった返したそうで、このマラソン大会は大成功をおさめました。
これが日本初の駅伝だったのですね。
この大会で活躍し、日本マラソン界の底上げに尽力していたオリンピックランナーの金栗四三氏の呼びかけによって、1920年に第1回箱根駅伝が開催されました。
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第5回ストックホルム五輪で「試合中に消えた日本人」として一騒動に
1912年に開催された第5回ストックホルム五輪は、猛暑に見舞われて68人の選手のうち34人がリタイアする過酷なレースだったようです。
裏地にゴムを貼付けた「マラソン足袋」で出場した金栗四三氏はと40度を超える猛暑と石畳のコースに苦戦し、日射病から意識を失い26.7キロ地点でコース上に倒れ込んでしまったのです。
近くの農家の人に介抱されて、目を覚ました時は競技も終わった翌日の朝だったんだとか・・・
この大会では不運続きだったようで、ストックホルムまで船と列車を使って20日以上の長旅(今では考えられませんね)、慣れない食事、さらにとどめは大会当日に来るはずだった迎えの車が連絡ミスで来なかったそうで、走って競技場まで行ったそうです。
日本国民の期待を背負っての出場だったため、自責の念に駆られ、金栗四三氏はオリンピック委員に棄権の報告もしないで帰途についたようです。
失踪、行方不明となって、「試合中に消えた日本人」として騒動になったのですね。
しかし棄権の報告がなかったために55年後にまさかのドラマが待っていたのです。
1967年、ストックホルム五輪から55年経った記念式典でスウェーデンのオリンピック委員会から、金栗四三氏が記念式典に招待されたのです。
式典関係者が過去の記録を整理している時に、金栗氏が、マラソン競技中において「失踪、行方不明」になったままなので、棄権の意思が確認されていない以上「競技続行中」であると判断されたというのです。
そして競技中の金栗四三氏をゴールさせようと企画されたのです。
75歳になっていた金栗氏ですが、スーツにネクタイを締め、ロングコートのまま、競技場をゆっくりと走ってゴールしました。
タイムは54年と8ヶ月6日5時間32分20秒379だったそうです。
その時の映像です。
第1回箱根駅伝の参加校は「早稲田、明治、慶応、東京高等師範」
金栗四三氏の呼びかけで1920年(大正9年)2月14日に開催された第1回箱根駅伝。
【参加校】
◆早稲田
◆明治
◆慶應義塾
◆東京高等師範(筑波大の前身)
【大会成績】
◆総合成績
(1)東京高等師範学校
※15.05.16
(2)明治大学
※15.05.41
(3)早稲田大学
※15.15.31
(4)慶應義塾大学
※16.50.56
◆往路成績
(1)明治大学
(2)東京高等師範学校
(3)早稲田大学
(4)慶應義塾大学
◆復路成績
(1)東京高等師範学校
(2)早稲田大学
(3)明治大学
(4)慶應義塾大学
「四大校駅伝競走」の名称で有楽町報知新聞前(現在のビックカメラ)をスタート・ゴールとし、箱根関所址間往復で開催されました。
2月14日は土曜日だったために、授業が終わってからの午後1時がスタートだったそうです。
翌日は箱根を午前7時にスタートしたようですね。
まとめ
箱根駅伝も年々、盛り上がり、すごい人気になっていますよね。
昔は山を走る選手は孤独?で、応援も少なかったのに、今では山の途中とかでも応援する人がたくさんいて、選手の励みになりますよね。
しかも最近の箱根駅伝は山を制するものが箱根駅伝を制す・・・みたいな感じで、山を走る選手の注目度は高いです。
母校が参加している人も、そうではない人もお正月の楽しみとしている人は多いですね。
やはりあの、「タスキ」をつなぐというその重み・・・またドラマがあるんでしょうか?・・・